逆に詩を料理的に表現してみる

世の中には料理を詩的に表現できる人がいる。
彦摩呂さんの「味のIT革命や~」「肉汁のドリンクバーや~」といった料理の詩的表現には敬服の念に堪えない。
相当なボキャブラリーと日々の訓練とセンス(あと言ってしまう勇気)が必要だろう。私にはできない。

でも、もしかしたら、逆に「詩を料理的に表現」することはできるかもしれない。
やってみよう。

ワンプレートポエム「月夜の浜辺」feat.中原中也

今回は私の大好きな詩人、中原中也の「月夜の浜辺」にしよう。

国語の教科書にも載っていた(気がする)。

男が月夜の浜辺でボタンを拾うという詩なのだが、孤独な男がなぜそこにあるのか分からない異質なものに自分を重ねて同情してしまう様が描かれている(気がする)。

というわけで、この「月夜の浜辺」という詩を料理的に表現してみた。

できあがりがこちら。

ワンプレートポエム「月夜の浜辺」feat.中原中也

月夜の晩に、クラッカーが一つ
ごはんの上に落ちていた。

その構成素材はこちら。

「月夜の浜辺」に出てくるキーアイテム=ボタンの「なぜそこにあるのか分からない異質なもの」としてクラッカーを置いてみた。ボタンにも似ているし。

さて、「月夜の浜辺」を思いながら食べよう。

ごはん、玉子、海苔の組み合わせだから当然のように美味しい。


わびしい感じゼロ。月夜というより朝ごはんの定番にしたいくらいだ。味噌汁がほしい。

あれ、波打ち際にクラッカーがひとつ落ちている・・・

それを拾って役立てようと僕は思ったわけでもないが、僕はそれを口に入れた。

月夜の晩に口に入れたクラッカーの塩気は舌先に沁み心に沁みた。

こんな夜更けにひとりで何をやっているんだろう・・・
この感覚はもしかしたらこの詩の孤独感と同じなのかもしれない・・・

今回は、朝ごはんのような「月夜の浜辺」になってしまったけど、詩を料理的に表現することができた(気がする)。

ごちそうさまでした。

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